散らかってますがどうぞどうぞ

超ひきこもり専業主婦の、感情の暴走と妄想

圧倒的に強い力をもっているけれど制御している男性に感謝してる

私は女です。

脂肪は標準ですが、(減らしたい)

筋力が低く、(増やしたい)

昔から病弱ですし、万年帰宅部か文化部で、運動神経も笑えるくらい悪いです。

 

この前、旦那と腕相撲をしました。

まさに大人と子供の戦い、どころかもうダニと布団(?)ってくらいレベルが違いました。わかっていたことですが。

 

大人の男性の力、筋力って本当すごいですよね。

ジャムの蓋すら自力で開けられない私から見ると、もう想像がつかない世界です。(シリコンパッド最高!)

私は鉄製のような重いドアを開けるとき体重をかけて開けるのですが、男性はきっとジャムの蓋も、倉庫にあるようなあの重いドアも、きっと100%の力を出さず軽く開けられるのでしょう。

(男性、女性、その中にも個人差は勿論あるとは思いますが、平均値として考えています。)

 

小柄で細身の男性でも、私よりは少し力が強いくらいかな、と見た目で判断していたのですが、ふとした時に「あ、これはもう段違いで力が違うわ。」と感じさせられてきました。

女性より男性のほうが多い環境で過ごしたことが多かったので、男性と圧倒的な力の差を感じる機会も多かったのだと思います。

 

続きを読む

最近どのサイトも全部同じに見えるのよ。趣味は検索。

平成の超初期に産まれました。

 

小学生のとき初めてインターネットに出会いました。

とにかく新しいもの好きな両親だったので家には立派なディズクトップPCがありました。ピーピロピロ…という音を聞きながら、インターネットをつながるのをじーっと待っていたような記憶があります。

 

思春期には主に折りたたみのケータイ電話でインターネットを使っていました。

夢小説に出会い、ひっそりと、誰にも見つからないように、夜中にひとり読み漁っていました。

 

インターネットは常にそばにいました。

ふと疑問がわくと、どんな些細なことでもすぐに検索する人生でした。

 

ただし、自らHPを作ったり、ブログを書いたりはせず、ひたすら受け身に、ひたすら検索だけして過ごしてきました。(検索だけは上手いとか、本当、無能。)

アメーバピグなどのコミュニケーション系も、登録してみたものの使いませんでした。ツイッターも使っているものの、情報収集ツールと化し、誰とも関われてないです。

 

 

さて、ブログ

続きを読む

上手くやれてるSの話 -1-

(あの子は何故かわいいままで、あんなに強く居られるんだろう。)

ヒエラルキー上位にいる女の同期を見て、いつになく敗北感と嫉妬を感じていた。

いつもは気にならないその明るさが今日はとてもまぶしい。

 

私は上手くやれてると思う。

この中では上位のなかの真ん中あたりというポジションだろう。実際、上位群のLINEグループに入っている。

今だって一番声の大きいリーダータイプにちょうどいいタイミングで合いの手が入れられたし、笑いのポイントも全体に合っている。今日は同期全員が集まった久しぶりの飲み会なので、少し人見知りもしたが、もう慣れた。大丈夫だ。

きっと仕事中、またあの口うるさい先輩によくわからない細かい指摘をされたから疲れているのだろう。

 

学生の頃は人並みに遊びつつ、ちょっと受験も頑張って、そこそこの大学に入った。

就職活動は厳しい、厳しい、と大学に入学したときから言われていたから、解禁前から情報を集めて少しづつ動き出した。その甲斐あって私の大学にしては、妥当か、少しいいところといえるような会社に入れた。それなりに大きく安定した会社だったので、産休育休制度も整っていそうなところが魅力だった。親も安心したようだった。

 

勉強や仕事も大事だけれど、女だし見た目にもそれなりに気を使った。大学で知り合った優しい彼氏と今も続いている。

おしゃれは自分が楽しいのが一番。とはいえ、なんだかんだ無難でキレイめな雰囲気にするだけで老若男女からチヤホヤされることを覚えてからは、自分の趣味よりもそちらの方を重視している。普通の若い女はシンプルにわかりやすい可愛い格好をしておけばそれだけで綺麗な人扱いされるのだ。それを理解しているのか、それともしていないからか、趣味の服装を貫く同じ年頃の女達を見ると、もったいないという気持ちと、自分を貫けて羨ましいという気持ちの両方を感じる。

 

「仕事やる気なんてないよー。早く辞めたいー。」

あの子が言った。

転職活動してるの?!と悪い子では無いのだが、たまに空気の読めない子が聞いた。

「…してないけど、まじ辞めたくない??」

(あ、糞真面目に返事してる。)

この手の発言は仕事疲れたね、面倒だね、この間なんかさー…って会話の着火点にするだけで流しておけばいいのだ。こんな同期の集まったところで真剣にそんな話するわけがないのだ。

 

「あいつ仕事出来ないくせしてすっごいドヤ顔でアドバイスしてくるの」

「しかもそれ結局間違ってたし!」

みんな明るく冗談っぽく、本気じゃない、盛り上げるためだ、という顔をして、各々の周りの愚痴や悪口を言い出した。でも本気で思っていることは目を見ればわかる。

 

この愚痴合戦が始まると、大人になるってことかな、と毎度思う。

学生の頃は、本人がいない場では、少し人数が多かろうと、表情と言葉両方にのせてストレートに嫌悪を吐き出していた。中学生の頃はそれを発端に無視が始まったり、グループが別れたりした。高校生の頃はそう大きな問題にはならなかったがギクシャクしたり、空気が冷えたり、数ヶ月かけて静かにグループが分断したりした。大学生になると、人が多くクラスというものがないせいもあるが、もう酒のせいにして流すという感じだった。

 

社会人になってからの陰口はほぼ、キャラクターをいじる、という体で吐き出される。今日は同期だけの飲み会なのでターゲットは他部署まで伝わるほど仕事が出来ない人か、各々に付く先輩である。

 

みんな悪口を実に上手く冗談に変換していく。やはり上位層の人ほどその芸が上手い。いつの間にみんなそんな技術を身につけたんだろうか。私が気づいていなかっただけで学生時代からあったのだろうか。

いや、恐らくこれは社会人になってからであろう。

同じ会社の人間同士であるから、陰口を言っていたことが間接的にでも本人やその周りに伝わっては当然仕事がやりづらい。それに皆、”人の悪口を言うやつは信用できない”という決まり事を理解しているのだ。

だがその場のノリ、その場の冗談、そういうキャラ、ということであれば誰も責めない。

 

おかしな話だ。

悪口を言うな、言った人間の評判のほうが下がる。そんな方程式は知れ渡り理解された。だから人を悪く言う人はバカだ。以上、終。陰口禁止。とはならないのだ。

結局本質は何も変わらない。陰口を言い合って、それを酒のつまみにして盛り上がっているだけだ。

 

私はこの上手く冗談めかして悪口を言うことがどうも苦手だ。

そこそこ器用に世渡りしてきたつもりだったが、妙に糞真面目なところがあるようで、悪口をいうと自分が不利になるだけだと学習して以降、上手く黒い感情を吐き出すことが出来なくなくなり、一切悪口を言ったり愚痴を言うことがなくなった。

 

決して愚痴がないわけでも、人を嫌わないわけでもない。むしろ隠さず直接的に言えと言われたら(決して言えないが)この場の誰よりもひどい言葉で嫌いな人を罵ることが出来る気がする。選ぶ言葉がきついようで、過去に人を傷つけたと感じたことが何度かある。だから上手く冗談にし、本気だと悟られない自信が無いのだ。

 

 

 

つづく

 

作者のプロフィールを食べている

感動する本に出会ったとき

面白い漫画に出会ったとき

楽しい音楽に出会ったとき

 

何かしらの創作物に心動かされたとき、

私は必ずと言っていいほどその作者のプロフィールを検索してしまう。

 

ウィキペディア様々である。

 

(最近は有名な人について検索すると、

アフィリエイト狙いなのかな?という感じの、ファンではないのだろうなという、愛の無いプロフィールがひたすら列挙されたようなブログのようなサイトも多くヒットする。そういうサイトは大体ウィキペディアと同じ内容か、あっても真偽がウィキペディア以上に怪しいものが多い。

なのでそのようなサイトはチラリと覗いてすぐ違うページに移る。)

 

作者のプロフィールのなかで注視して読む部分は、どのようにその作者が世に知れ渡ることになったのかという経緯だ。

そして作者がどんな人生を歩んできたのかという経歴だ。

 

私は特別流行に詳しいわけでも、新しい才能を見いだせるわけでもない平凡な人間なので、偶然出会った珍しく新しいと感じるものも、

大概、既に誰かに見初められ、人気のあるものである。

その作品、作者が一躍脚光を浴びたきっかけや、ジワジワと人気が出たのならば初めはどんなことをしていたのか、ということが気になって仕方ない。

 

その人がどうやって有名になったのか

その人が有名になるまで何をして過ごしてきたのか

その人は最初にどこでその才能を発揮し、世間に見初められたのか

 

こんなことが気になって仕方ない。

 

そしてその人の日常の過ごし方が知りたい

その作品だけで食べているのか、それとも他に仕事を持っているのか、主婦か、子持ちか、ニートか、

 

そんなことが気になって仕方ない。

 

作品だけを純粋に味わうことが出来ないのだ。

 

 

なぜこんなことを必ず調べてしまうのか。

物によっては作品を味わう時間より調べている時間のほうが長いような気がする。

 

子供の頃から文庫本のカバーについている作者プロフィールや、漫画のおまけページにある作者の日常に注視して読んでいたように思う。(これが異常なのかどうかがわからないが、私の知る範囲の人達は軽く読むか、もしくは読まない人も多いようだった。なので珍しいのかもしれない。)

 

インターネットが出てきて、特に検索するとウィキペディアが必ず最初に表示されるようになり、amazonで今までの作品がすぐ一覧で検索出来るようになると、

私の作者調べ癖はより一層ひどくなったように思う。

 

癖がひどくなることにより、調査時間が長くなってしまったが、満足度は格段に上がった。

やはりウィキペディア様々だしインターネット様々である。

 

あぁ、オタク気質というのもあるだろう。ただ必ずその作者の作品をすべて読むとは限らない。プロフィールや来歴を知るだけで満足したり、エッセイやインタビューが存在すればそれを読む、そして最初に触れた作品以外には興味がわかず一切触れないことも多い。

 

私は数年前から外で仕事をしていない。

無職だ。そしてそれからまた数年後、専業主婦になった。

今それは置いておいて、何より時間があったので沢山の作品を見れたし、それに比例して沢山の作者を調べた。

 

調べずにはいられないのだ。

我ながら大変無駄な時間であると思うのだが、調べずにはいられない。

 

夢中で調べている間は興奮するのだが、そのあとは大体、自己嫌悪する。

調べたところで私がその作者のように素晴らしい作品を生み出せるわけでもなし、有名になれるわけでもない。

 

そう、調べながら、私はこのコース(作者が有名になるまでの道のり)を歩む自分を想像して楽しんでいたのだ。

なんて虚しい。

 

もちろん健全に活かすときもある。

作者の経歴や職業、生活から想像し、よりいっそう作品を楽しむのだ。この登場人物は完全に作者の想像でフィクションかもしれない、このキャラクターは身近にいたのだろう、この人の描く主人公は恐らくすべて作者に近いのだろう、などと考えながら作品を楽しむ。これはきっと受け手が行う健全なプロフィールの活かし方だろう。

 

自分を重ね合わせて考えるときと、健全に作品を味わうために使うとき、割合としては7:3くらいだと思う。

 

大体、前者の不健全な活かし方をする場合、自己嫌悪はより強くなる。

 

子供のころや、思春期まではこういう想像をしてもバチは当たらないだろう。

ただ、とうに成人した、それも無職で何も持っていない人間が、有名な人のプロフィールを見て無意識のうちに妄想する。とても気持ち悪いし、やはり虚しい。

 

芸能ゴシップ的な話題にはあまり興味がなく、経歴の中で重要なターニングポイントとして不祥事などがあるのであれば調べるが、それ中心に考えることはほぼ無い。

芸能ゴシップ好きのほうがまだましな気がする、とても。

 

我ながら気持ち悪いのはもう受け入れた。

ただ、数年前からここ最近まで、おそらく時間が大いにあっただけでなく、無職で、先も見えず、何か行動を起こす気力もなかった自分にはこの妄想が軽いセラピーのようなものだったのかもしれない。

 

最近少し、この無駄なプロフィール捕食時間が減ってきた。

精神が安定してきたのかもしれない。

 

私のような理由でプロフィールを調べずにいられない人が他にもいたらいいな、と思いつつ、居ないほうがいいなとも思う。

 

あぁ、何者かになりたい。

 

 

 

昨日は室伏広治さんについて調べた。

 

気持ちよかった。

 

 

 

マイクラがつまらない

よゐこのマイクラでサバイバル生活という動画を見た。

 

二人が以前、それぞれやっていたポケモンサンムーンと赤緑の動画はとてもおもしろかったので楽しみに見た。

しかしマイクラの動画は正直二人の力をもってしてもあまりおもしろくなかった。

有野さんも「これ、子供おもしろいか??」(なぜ子供達に流行るの?)というようなことをおっしゃっていて、私も心のなかで大いに同意していた。

 

この動画では、よゐこの二人にはほとんど知識を与えず、都度都度最小限の操作方法とアドバイスが与えられるようでした。

恐らくこの動画が面白くないのも、有野さんが楽しみ方を疑問に思うのも、マインクラフトを楽しむことにおいて必要な知識がなかったからだと思う。

 

マインクラフトって最低限の知識、導入がないと楽しめないなと常々思っていた。

最近久しぶりにマインクラフトを一人でプレイしてみようと思ったところ、色々と重要なことを忘れていてとてもつまらなくイライラした。

 

数年前に旦那に誘われて一緒にプレイしたことがあったのですが、

(それも何度も。セーブデータを新しくして新しい世界から進めたことが3回くらい。)

そのときのマインクラフトは最初から楽しかったです。

彼は私と一緒にやる前から何度か、一人でも複数人でもプレイしたことがありました。導入も(PCでプレイしたので)、最低限のツールの作り方も、最終的にどんなことが出来るのかも知っていました。

 

その為、私は操作方法から基本的なツールの作り方まで手取り足取り教えてもらえたのです。その後のちょっとしたプレイの目的から最終目標は相談しながら二人で決めていきました。でもマイクラでどんなことが出来るのか私は全く知らなかったので、家を作る、や発電させる、などなど、出来ることを彼に提示されながら、選んでいく形でした。

 

一人でプレイすると、目標やモチベーションも自分ですべて決めて維持しなくてはいけない、ゲーム特有の目的を達成した報酬は”達成感”のみ。(ゲームは目標に応じた報酬がこまめにあるところが、夢中になってプレイしてしまう需要な要素だと私は思っています。)

そのうえ国産ゲームにかならずあるようなチュートリアルもないので最低限のツールの作り方がわからず、ゲームクリアに匹敵するような目標もわからない、知らなければ設定できない。

 

これではモチベーションを保つ以前に、まず何から取り掛かっていいのかわからない。

浜口さんも動画後半は土ばかり掘っていた。それが面白いからだろうが、(実際面白かった)他に何をしていいかわからないからというのもあったと思う。

 

 

マインクラフトが”何をして、何を目指したらいいのかわからない”イコール”何をしてもいいし、何を目指してもいい”という部分が売りだということは知っていたが、想像以上にどうしていいかわからず何度も立ち往生させられた。

 

 

ある何かを楽しむには、それに必要な知識が必要なことがある。

また、知識がなくても楽しめるが、あるとより一層楽しめると言われることがある。

 

今の時代、インターネットですぐ調べることができるし、動画でのわかりやすい操作解説もある。どれも無料だ。

その上身近な友達がプレイしたことがあり、これから一緒にプレイしてくれれば完璧だ。

 

私はその楽しむために必要な知識を得ることがどうも下手なようだ。それに目標も一人では決められなかった。だからつまらなかったのだろう。

よゐこのお二人は現実のサバイバルかのようにするため、あえて何も伝えられずプレイしているのだろう。だからこれからきっとポケモンのときのように面白くなるだろう。

 

現代の子どもたちはこんな高度なゲームを楽しんでいるのか。

自分で調べ、仲間と情報を共有し、そしてなにより自分で目標、目的を決めてプレイ出来るなんてすごいと思う。

私の子供時代はもっと受け身だったように思う。それともやはり私の能力が低すぎるだけなのか。

現代の子どもにもマイクラを能動的に楽しめる子と、受動的にしか楽しむことしかできない子がいるのだろうか。

それとも子供時代にマインクラフトを知ることで、能動的な楽しみ方を覚えるのだろうか。(だとしたらマイクラはより一層すごいゲームだ)

 

私はこれまでの趣味は、どんな物事も受動的な楽しみ方しかできなかったように思う。

能動的にマイクラをプレイしていると思われる現代の子供や、うちの旦那を見て最近、それはもったいないのではないかと思うようになった。

 

なのでこれからブログを能動的、主体的に楽しんでいけたらいいなと思う。

そして一応趣味を色々と持っているので、それらを味わい尽くしていきたい。そんなふうに思う。